会場としてお借りした「清水園」。
「清水園」ってどこ? どんなところ? と思った方も多いのではないでしょうか。
どこかに訪れた時、その土地のことや歴史などを、「知って見る」と「知らずに見る」では、きっとぜんぜん違った景色で心に残るもの。
いろいろなことに、ほんの少し、興味と好奇心を持つことで、視野が広がり、楽しみが増えるかもしれません。
「清水園」のHPをご覧になった方も、いらっしゃるでしょうが、こちらでも簡単に説明させていただきます。
今から約410年前の1598年、加賀の大聖寺より、溝口秀勝候が、初代新発田藩主として入封しました。
「清水園」は3代藩主宣直候の時に、下屋敷(別荘)として作られたものです。
その後4代藩主重勝候の時、当時江戸幕府の茶道家であった、縣宗知(あがたそうち)を招いて、庭を完成させたそうです。(当時は清水谷御殿と呼ばれていたそうです。)
この下屋敷で、のんびりした時を過ごしていたのでしょうね。
お殿様が馬術や弓術を練習したと言われる、大門をくぐるとまっすぐ伸びる道、百間馬場・・・お姫様が手毬をついて遊んだと言われる、池に架かる瀬田の唐橋・・・書院の床下からは、カメをふせた跡が見つかり、書院で能を楽しんでいたなど、当時の様子もいろいろ語り継がれています。
それから、12代直正候の時に、時代は江戸から明治へと、変動をとげます。
その後、明治24年に越後の大地主伊藤家の所有するところとなり、昭和21年に北方文化博物館の管理することになるのですが、その頃は庭も荒れていたそうです。銀閣寺の修復などを手がけた、柏崎出身の田中泰阿弥によって、現在の「清水園」に修復されました。
長い年月を経て、今も生き生きと生き続ける、美しい庭。
十一月ノハジメの頃は、ちょうど紅葉が美しく、秋から冬への季節の移り変わりも感じられることと思います。
長い年月を経て、木々やコケたちが育ち、その庭を静かに手入れし守ってきた人々がいます。
その美しい庭を、その方たちの思いを、後世に守り続けていって欲しい、そんな思いも込め、みなさんにもお庭を慈しみご覧いただきたいと思います。
「清水園」の、凛とした空気、ゆっくり流れる時間。
ぜひ、十一月ノハジメとともに、お庭もお楽しみください。
木々と風の音に耳をすませ、
美しい緑と木漏れ日に目をすませ、
そーっと、
心をすませてみると・・・「清水園」の木霊(こだま)たちにも会えるかもしれませんよ。
・清水園には大きな池があります。小さいお子様をお連れの方は、お子様から目を離さないようご注意ください。
・飛び石の道などもあり、雨が降るとすべりやすくなっておりますので、ご注意ください。
・園内のスポットを探してまわる『宝探しゲーム』にもぜひ参加してみてください。受付で参加申し込みできます。
・7日(土)は、茶室の同仁斎が開放され、お茶のサービスをしています。(普段、茶室は開放してません。中でお茶をいただけるチャンスですのでぜひ!)
・近辺の道路が狭いです。どうぞご注意ください。